「褒めて伸ばす」・「褒めてモチベーションを高める」、褒め方についてネットを調べると、こんなのばかりみつかる。気持ち悪くなった。
「まず相手をよく観察して、その人の長所をみつけるのが大事」・「一見、短所に見えることが、実は長所だった」・「決断力がない人は、じっくり考えることができる人、そう言い換えて褒めてあげる」、こういう内容もネットには多い。
いくら探しても見つからないのは、褒める目的について、しっかり考えた記述。綺麗事の目的は一応書いてあるけれど、うわべだけで考えて書いた気がしない。
褒める目的
ネットを読み漁って読み取れた褒める目的はただ一つ。相手を操作すること。
「相手の長所を伸ばす」、「モチベーションを上げる」など、綺麗事が書いてあるけれど、真の目的は、相手を操作して自分の思い通りに動かすことである。
何故そう思うかというと、そもそも「相手の長所」なんて分からないから。
少し考えて欲しい。例えば、じっくり考えることのできる人がいたとして、これは長所か?と聞かれると困るでしょ?この性格はすぐ決断しないことの裏返しだから、短所とも言える。結局、この性格で得するか損するかはケースバイケースなわけ。
もう少し一般的に言えば、長所と短所は裏表の関係でそれ自体に良い悪いは無い。
それじゃ、「相手の長所を伸ばす」ために誰かを誉めてる人は、なにをしているか?それは、その人の好みで長所を決めて、それを伸ばそうとしているわけ。つまり、相手のためを思っているわけじゃなくて、自分好みにしたいわけですね。
褒められ害
結局褒める人は、その人の好みにしたくて相手を褒めている。逆に、褒められる人にとってこれは害が多い。この害を、褒められ害と呼ぶことにする。
誰かに「君の決断の速いところが凄いね」と褒められたとしよう、そして、褒められた側は「そう思ったことってないけど、そうか、僕は決断が速いんだ」と気分良くなり、もっと決断を速くしようと考える。
でも、決断の速いと得をするとは限らないし、そもそも本人が決断を速くしたいだなんて思っていたなかったのに、そう誘導される。このように、他人の好み・価値観で褒められた人のモチベーションが上がってしまう、これが第一の褒められ害だ。
ところで、褒めてる側の価値観は結構いい加減だ。映画でIT企業のCEOがバシバシ重要事項の決断をする様子を見た後は、決断の速さを褒めてくるだろう。あるいは若き天才科学者がふとしたことから重大な発見をする映画を見た後は、じっくり考えることを褒めてくるだろう。このように一貫しない価値基準で褒められることで、褒められた側のモチベーションが混乱する。こえrが第二の褒められ害である。
褒める人は一人では無い。複数の人が様々な価値観に基づいて褒めてくる。すると第二の褒められ害は一層深刻だ。
褒められ害の深刻さ
人間は褒められることに弱い。褒め方についてネットに多数の情報があることを見れば、褒めることが如何に大きく人に影響するか分かる。
書籍も、褒めることで人を操作する技術を記している。
機械学習の分野で強化学習という手法がある。グーグルが人工知能Alpha Goで囲碁のチャンピオンを破った時に採用した手法だ。計算機が囲碁の良い手を指すと褒めてあげる。それだけで囲碁チャンピオンに勝つまでに、人工知能は賢くなった。人間も同様褒められることに強くえいきょうされる。
君は他人に振り回されている
君の長所が何か?そんなことを他人は深く考えていない。その時の気分で適当に君を褒めてくる。褒められると君は、気分が良くなりモチベーションを上げる。でも、そのモチベーションは正しいか?君の価値観で選んだモチベーションでは無いのだ。
その日の気分で褒められ、一貫しない価値基準でモチベーションをを上げる。そんな他人に振り回されるのって、滑稽じゃないか?
褒めて伸ばすは、大ウソ
褒められると確かにモチベーションは上がる。でも大切なのは、君のどこを伸ばすか?だ。親も上司も、ここについては深く考えていない。
親は子供が良い子になるよう褒める。良い子とは、親にとって都合の良い子という意味だ。
上司は、会社にとって君が扱いやすいように褒める。「よく頑張ってるな」「もっと頑張れ」と。そもそも君は頑張りたかったのだろうか?
福沢諭吉の悟り
福沢諭吉は、褒められても喜ばないようにしていた。他人の価値観に影響されることを恐れたためだ。
まとめ
褒めるというのは強力な武器だ。他人を操ることができる。
一方、「褒めて伸ばす」「褒めてモチベーションをあげる」と言いながら、親や上司は君を褒めてくる。それらは君のことを考えているわけではなく、親や上司の好みの人間にしようとしているに過ぎない。