自分にとっての当たり前、それが思考のクセ・認知のゆがみ

 うつ病治療の原因として認知のゆがみがあると言われています。意外なものが認知のゆがみだったりする。その一つ、謙遜も認知のゆがみであると下のエントリで書きました。
kota.hatenablog.com

 

認知のゆがみの問題は、歪みに気づけないこと

 認知のゆがみについては「嫌な気分よさようなら」(デビット・Dバーンズ著)に詳しい。ネットにも二次情報がたくさん出回っています。中でも以下の記事はよく書けています。

fernwelt.net

 

 認知のゆがみという原因がはっきりしていますし、その対策方法(思考を紙に書きだして検証する等)もネットに多数みつけられます。それなのに、気分が落ち込んでしまうのは何故でしょう?実は、認知のゆがみに気づくこと自体が難しいからです。

 

「当たり前」、それが認知のゆがみの正体

 当たり前のことってありますよね。電話がかかってきたら出るとか、友達は大切にするとか。これが認知のゆがみです。

 「当たり前」は、どうやって身につくのでしょうか?子供の頃の親のしつけだったり、先生や友達と交流する中で快(良いこと、褒められた等)や不快(悪いこと、叱られた等)があったときの行動を「当たり前」として学習していきます。友達が困っているときに助けてあげたら感謝された(快)、この経験によって人に感謝することは「当たり前」として頭に刷り込まれます。友達との約束を破って友達が怒った(不快)、この経験によって約束を守ることは「当たり前」として頭に刷り込まれます。

 なるべく快を増やして不快を減らす、そのための思考の基本が「当たり前」です。この刷り込まれた基本の中で間違っているものを、認知のゆがみと呼びます。

 

ポジティブメッセージとしての認知のゆがみ

 ポジティブな表現は人を信じこませる力があります。例えば、以下のことを疑う人はまずいないでしょう。

  • 正しいことは善い
  • 無駄のないことは善い
  • スキルアップ(上を目指す)ことは善い

 

 人は〇〇が善いというようにポジティブなメッセージとして刷り込まれている「当たり前」を疑うことは難しい。逆に、友達といるときに場を乱してはいけない、というようにネガティブなメッセージとして「当たり前」が刷り込まれているときには、何故いけないんだ?と違和感を感じることもできます。しかし、正しいことは善い、といったポジティブなメッセージに対しては違和感を感じづらい。

 

 しかし、ポジティブなものはとネガティブなものと根っこは同じ。例えば、自信のある人は、実は自信がない。自信満々に振る舞う根底には自信のなさくる不安を打ち消そうとする虚勢があったりします。また、社交的な人は、実は他人の目が気になってしょうがない。初対面の人とも楽しくおしゃべりを楽しめる社交的な人は、他人から自分がどう思われているかが気になっていて、そのストレスから他人との交流に熱心だったりします。このように、ポジティブな態度はネガティブな心理の裏返しです。

 ポジティブなメッセージはネガティブなメッセージとつながっています。

  • 間違っていることは悪い
  • 無駄があることは悪い
  • スキルアップしないのは悪い

 

 配偶者や家族が間違った時にイラっとしたことはありませんか?一緒に出掛けていて配偶者が忘れ物をしたときに、だから注意してねって言ったのにとイラっとしてしまうことってありませんか?。

 これは、正しいことは善い、つまり間違っていることは悪い、と思っているからイラッとするんです。

 

 ポジティブなメッセージとネガティブメッセージは根っこは同じ。それなのにポジティブメッセージで表現すると人は「当たり前」として信じてしまう。認知のゆがみに気づけないわけです。

 

まとめ

 認知のゆがみに気づくのは難しい、それは「当たり前」として自分に刷り込まれているためです。そしてその「当たり前」がポジティブメッセージの形をしているときは、一層それに気づくことは難しい。

 自分で認知のゆがみに気づくにはどうすればよいのでしょうか?「嫌な気分よさようなら」では、自分の思ったことを全て丁寧に検証することを勧めています(自分の思考のどれが認知のゆがみかわからないのですから、全てを検証することになります)。詳しくは以下の別エントリに書きました。

kota2009.hatenablog.com

補足

 「当たり前」に気づけないもう一つの理由は、「当たり前」のことには思考が向かないためです。

 蚊に刺されたとき、気づいたら掻いていませんか?かゆみを感じた、かゆみを減らすためにはどうしたら良いだろうか?、かけば良いのではないだろうか?、よし!かいてみよう、のように考えて行動しているわけではありません。

 このように「当たり前」の行動や感情は、思考を伴わない反射的であるため止めることはできません。